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落第・飛び級の導入は、教育を変える

別ブログでやっていた議論の中核は、結局そういうこと、つまり落第・飛び級制の導入こそが日本社会を変えるカギになるということなのだと、いま自分で気づいた(笑)。そうだワシはそれが言いたかったのだ。

もちろんそれは、落第・飛び級という厳酷な評価を前に、生徒が自らを見直し、また評価する側(=教える側、ではない)も当然、今よりもずっと真剣にこどもと日本の未来をおもんばかることとなるだろうという期待が基本にあるわけだ。

この子をこのまま社会に出していいか、とか、あるいはこの子をいつまでも初等教育の場においておいてよいのか、それは国家社会の損失ではないか、というような判断、だ。

おそらくこどもは今より自立心を持って学習に臨むようになり、ひいては日本の市民社会の自立意識を育てるということにつながるのではないだろうか。こどもに落第する権利・義務、飛び級する権利・義務を与える。たったそれだけで、こどもの学習意欲はいまの何倍にもに向上するのではないかと私は思う。おれは学校なんかとっとと出たかったので、きっと苦手科目も真剣に勉強したことだろうという気がする。

落第権・飛び級権のメリットは、すべてのこどもがそれぞれに享受できるものと思うが、ワシが特に気にかけているのは、もともと優れた才能を持っているのに、環境その他になんらかの阻害要因があって、なかなか学習する「雰囲気」に恵まれない場合。けっこうそういう生徒は多い。というか、大半、八割ぐらいの生徒は、そうだ。

端的に言って、親の意識が低い場合。ほかに、学校教師側の思惑によって授業が停滞している場合、あるいは少子化による受験競争の消滅。

憲法26条は確かに教育を受ける権利を保障しているが、実質的には「学校へイケ」でしかない。学習ってのはなんのためにやるんだ、やるとどうなるんだという、社会的合意がない。おれは、小中の初等教育を終えた以上、国家がその卒業生を初頭公務員として採用する義務を負う、ぐらいの制度であってかまわんと思う。

さすがにそこまで踏み込んだ制度を持つ国はないらしいが、よそはよそである。おれらはおれらである。議論沸騰の時期が来ているとワシは思う。

 1 留年・落第、飛び級を導入すべき  ...48%
 2 留年・落第のみ導入すべき  ...28% 
 3 留年・落第、飛び級を導入すべきでない  ...16%
 4 飛び級のみ導入すべき  ...8%

 

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